他の言葉で言うと、僕が好きな人たちと僕の好きな製品の間にあるように感じる関係性はあまりないということだ。アナロジーを使わせてもらうと、サンマイクロシステムス社の共同創設者のビル・ジョイは有名なこの自明の理を発言した(これはジョイの法則として知られている):”君が誰であろうと、賢い人達のほとんどは他の人のために働く”。同じ事はレコメンデーションについても言える。君が誰であろうと、君が知らない誰かがクールなものを見つけている。
問題点を混ぜると、僕が音楽のレコメンデーションで信頼している人は映画で信頼している人達とは違う。ガジェットに関しても別の物知りグループで、同様のことがゲームと本に言える。実際、僕は評判や経験で形成された”信頼できるネットワーク”をたくさんあるけど、それらについて共通することはなく、ほとんどは友達とは思っていない。それらのいくつかは人間ですらない—ソフトウェアだ。
感覚的に言うと、君のフィルター全てが直行する信頼できるネットワークの一部で、そこに君自身が唯一のメンバーとしてよく参加していると思えばよい。稀にオーヴァーラップする。よって君の異なる影響の平面を一次元に凝縮しようとするどのサービスも失敗する、最低でも有益なレコメンデーションが続く限り。それはそのようなサービスがプレイリストを共有するべきではないと言っているわけでも、アマゾンのウィッシュリストをやめるべきだと言っているわけではなく、他のところでもっと良いアドバイスを僕が得る機会が多いということだけだ。
僕にとってもっとも良く働くフィルターは、まず僕が好きなものと同じ物を持っていて信頼を勝ち取り、僕がより好きになるものに向かわせてくれるものだ。それらの人についてさらに知る必要はない、彼らが僕より時間を持っていて、まだ発掘されていない宝玉を探すためにたくさんのゴミを聴いているのなら。で彼らは僕の事なんて気にかけちゃいないのさ。レコメンデーションの場合、友情は過大評価だ。
ロングテール - The Long Tail: なぜソーシャル・ソフトウェアは質の悪いレコメンデーションをするのか (via ku)
「あなたのリブログには興味があるが,あなた自身には興味はない」
(via kiyoya)